どこにもない手
何のために手があるのか かんがえたことはあるか
わたしはありませんでした
あるひとはドアを開けるため
あるひとは文字を書くため
あるひとは文字を読むため
あるひとは納屋を焼くため
あるひとは拍手をするため
あるひとは声を聴くため
あるひとは手のことを考えるため
あるひとは顔を隠すため
あるひとは手がある人のことを考えるため
あるひとはその人のとなりにいるため
あるひとはひとと手をにぎるためだと言います
わたしは誰かがじっと
自分の手を見つめ
その手を何にも使わずに
そのままにしていることを
美しく思うために
この手があるのだと思い
やはりちがうかなと
片方の手をそっと
ポケットにしまいます
ポケットのなかでしずかに
てのひらをあわせるために
ポスト・ハローワールド
どうも、毛玉です。はてなダイアリーでは「毛玉」という名前で活動していた記憶がないですが、ブログでこの名前では、お久しぶりです。
このたび、「はてなグループ」サービス終了のお知らせをTwitterのタイムラインで知り、ああ、インカレナンチャラはてな会のページも終了なのかと思うと、私の浪人生~大学生時代のインターネット上の人間関係の全青春のデータが失われてしまうようで、焦ってCside(id:Cside)に連絡しました。どうやらはてなダイアリーからはてなブログへの移管作業のようにスムーズに他サービスに移行することはできないようで、データのエクスポートはできても移行先がないので、本当にサービス終了、終了らしいです。
突然この話を読んだ何も知らない人は、何の話をしているんだと思われるかもしれません。「はてな」というサービスから始まったインターネットにおける私の個人的な歴史を振り返るのは、私が単なる懐古厨であるということを明らかにしてしまうだけかもしれませんが、サービスの完全な終了と聞いて、また「はてな」に昔のアイディー(superfluou_s)でアカウントを取得して、この文章を書いてしまうくらいの熱量をひとりで消化できないので、ここにひとつの記録・記憶として残しておきたいと思います。
本当にとりとめのない、だらだらとした駄文になることは書く前から予想できますが、当時のことを懐かしく読んでいただける方はお付き合いいただければ幸いです。できるだけ、詳細に、当時の記憶を書くつもりです。