ゆめゆめ

ゆめゆめ、わすれることなかれ

どこにもない手

何のために手があるのか かんがえたことはあるか

 

わたしはありませんでした

あるひとはドアを開けるため

あるひとは文字を書くため

あるひとは文字を読むため

あるひとは納屋を焼くため

あるひとは拍手をするため

あるひとは声を聴くため

あるひとは手のことを考えるため

あるひとは顔を隠すため

あるひとは手がある人のことを考えるため

あるひとはその人のとなりにいるため

あるひとはひとと手をにぎるためだと言います

わたしは誰かがじっと

自分の手を見つめ

その手を何にも使わずに

そのままにしていることを

美しく思うために

この手があるのだと思い

やはりちがうかなと

片方の手をそっと

ポケットにしまいます

 

ポケットのなかでしずかに

てのひらをあわせるために

「わたしを殺さないで」

最近、感情が昂ると、手先の指が震えるようになった。

指が震えるということは、「機能を欠損する可能性の予兆的な恐怖」というものを私に繰り返し、強く与える。「震え」は感情の機微と関わらず、突然起こることもある。指が震えるだけではなく、思うままに身体の一部が動かない・硬化することもある。今私はPCのキーを両手で必死に叩いているが、叩く手を止めるとほんとうに微かに、手指が震えている。震えを誤魔化すように、震えない手指であるために、私が私であることがどうかなくならないように、とにかく必死にキーを叩き続ける。

私は精神科病棟に、二回入院したことがある。一度目は他害行為が疑われるという理由からの、措置入院だった。当時は病魔に侵され自我を失って、私が産まれたときから実母のように大切に私を育ててくれた祖母に、暴力を振るった。

「私は暴力を振るいました」というメッセージが意味するであろうことが、なんと平板なのだろうということに、私は思わず驚いてしまう。加害者で、異常者で、警戒すべき人間、等々。そこに横たわる、ありふれたイメージ。

しかし人間には、生れ落ちたその瞬間からその人間だけに固有の、逃れられ得ない「人生の文脈」を必ず背負う。

例えば「父子家庭」という言葉が我々に与えるイメージは、それぞれに多様だろう。「それはつらいおもいをしたかもしれない」と同情する人がいるかもしれないし、「わたしにはかんけいがないしどうでもいい」という人もたくさんいるだろう。「私もそうだった」と自分を重ね合わせて何かを考える人もいるかもしれないし、「なんとなくシングルマザーよりは金銭的にマシなのかなあ」というイメージを持つ人もいるかもしれない。けれども、「言語化された事象や現象」を何となく類型化したり、イメージを想起したりすることがまるで意味を持たず、却って当事者や関係者にとっては余計なノイズになるくらい、ある人間にはある人間固有の精神や思想や人生の文脈がある。そういったことをつい、忘れそうになる。「あの人は“〇〇”だから」という言葉が破壊するもの。

 

 

育ての親である、祖母の記憶は様々にある。私が産まれてから、私を一応の大人のようなものに育て上げてくれたのは、父方の祖母だ。(もちろん祖父もだ)。それらのことはおそらく、様々のことをもう少し先にまた書くだろうと思う。祖母はかつて、熊本で、洋服をオーダーメイドで作る小さな店を持って商売をしていた。やがて私が産まれると機を同じくして、京都に移り住んで二世代家族として同居するようになった。

祖母は家にある大きな工業用足ふみミシンで、私が幼い頃から大学生まで、家族の着るものをつくりあげてくれた。祖父はピッタリのスーツやチョッキをよく着ていた。幼い頃は既製服が着たくて嫌だった祖母の手作りの服だったが、大人用のスーツジャケットを作ってもらった時は、昔の祖母の店の名である「フローラ」というロゴの入ったタグを襟のところに縫い付けてくれて、世界でひとつだけのそのジャケットを着ることが、私の心の中にある、特別な自慢だった。

 

 

祖母は私が幼児の頃、二人で散歩に行くときに、「野イチゴの歌」を歌って、私に蛇イチゴを食べさせてくれた。のいちご のいちごだよ かわいい みだよ…祖母は戦時中に甘味が食べられなかった頃、野生にある甘いものをみんなで探して食べたことを私に優しく教えてくれた。戦時中や今までの辛いことを祖母は決して語らなかった。

祖母はたまに美しい声で昔の唄を歌った。台所からビブラートの効いた美しい声が聞こえてくるとき、祖母はいつも優しかったけれど、今日は特に機嫌がいいんだなあ、と思って、穏やかであることという幸せの味を舌に感じた。

祖母は花が好きだった。「フローラ」という名前を自分の店につけるくらいなのだから、本当に好きなのだろう。「お花を家に飾るということは、心に余裕があるということなのよ」と祖母はいつも私に教えてくれた。私は小学校の高学年の頃から、おつかいを頼まれたとき、自分のお小遣いになるぶんのお金も一緒に手に持って、近所のスーパーの脇にある花キューピッドで花束を買うようになった。もちろん、たまに、気が向いたときに。

スーパーで花を買うとき、メインになる花をいくつか選んで、そして花屋のお姉さんに「予算は千円ちょっとくらいで、あとは何となくかわいい感じにしてください」というと、花屋のお姉さんはにっこりして「プレゼント用にしますか?」と訊いてくれた。その時々でラッピングペーパーやリボンの色を選んで、メッセージカードに「いつもありがとう」と書いた。

家のチャイムを鳴らして祖母がドアホン越しに「はあい」と言うと、私は花束を背中に隠した。祖母が出てくると恥ずかしい気持ちと幸せの気持ちを混ぜながら「ねえ…これを買ってきたよ!」と言って花束を渡した。そのたびに祖母は、いつもの何倍もやさしいやさしい声で嚙み締めるように「まあ、すてきなお花ねえ、ほんとうにありがとう、うれしいわ…」といって母のような少女のような愛くるしい顔になって、私を抱きしめた。私はその瞬間が本当に好きだった。他人と幸福を共有するということを、身体で感じたのはその時だった。ただその時の幸せを味わいたくて、何度も花キューピッドに行った。

祖母と私は、ずっとそんなだった。祖母は、私の優しい、私の母だった。

 

その祖母を、私は平手撃ちにした。それも一度や二度ではない。

前後の文脈を全部切り取れば、その短い瞬間、私は「亡くなった祖父の霊が取り憑いた人間としての人格」ということになっていた(意図してそうしているわけではない)。これは完全に病気がそうさせたもので、私にはもともと祖母に対する悪意や憎悪などというものは欠片も持ち合わせていない。祖母は大好きなおばあちゃんであり、おかあさんでしかない。愛のある関係しか今までに築いていない。その時は私の人格がもう既に破綻してかなりの時間が経っており、様々な人格が入れ代わり立ち代わり私の中を通り抜け、様々な幻聴が私の知覚できる世界を滅茶苦茶にしていた。

私は祖母を東京の祖母宅の壁際に追い詰めて、何かわけのわからないことを言っていた(ここの記憶は飛んでいるのでわからない)。

そして「俺は(祖父の名前)の生まれ変わりだぞ」と叫び、おろおろする祖母の左頬を右手で思いきり力という力を込めてはたき、その次は左手で、また右手で、祖母のことを本当に力の限り叩いた。無茶苦茶に力の限り叩いた。物凄い力がかかっていたんだと思う。祖母はじっと目をつぶっていた。私は激昂していた。最後の手を振り下ろしたとき、祖母の口元からは血が噴き出していた。祖母の色を失った唇からピュッと血が出たのを私は見た。私はその時の光景を一生忘れないと思う。大切な人を自分の手で血が出るまで殴った、そのときの口からじわりと染み出した鮮血の赤さとグロテスクさは、少ししてその日のうちに人格が「いつものおばあちゃんが大好きなわたし」に切り替わった瞬間から、私を逆に抉り殺すのに十分すぎる強烈な映像のイメージだった。祖母を殴った後、私の無意識がそうさせたのか、もうわけがわからなくなって、裸足で家を飛び出して奇声を上げながら、近所を走り回った(その後結局救急車を呼ばれることになる)。

何とか昔の自分の欠片の多くを取り戻す人格に至った今も、あの時の祖母の痛みと私の加害の痛みは、やわらかい心に投げられた絶対に取り除くことのできないかぎ針のように、絶対に私の中から消えることのない、大きすぎる消えない傷として、私の心の中にあり続けるだろう。

 

最近、感情が昂ると、手先の指が震えるようになった。

指が震えるということは、「機能を欠損する可能性の予兆的な恐怖」というものを私に繰り返し、強く与える。「震え」は感情の機微と関わらず、突然起こることもある。

私は突然、統合失調症という病気になった。徐々に病魔に侵されて、結果的に他害的な行為をした(他害的行為は幸いそれだけで済んだのが不幸中の幸いだが、それ以外に犯してしまった悲しいこともある。ここでは書かない)。この病気は現代医学で完治することがない。投薬や療養で、もちろんよい経過をたどる人もたくさんいるし、私も今きちんと頭が回っている。私の性格上、さきのような他害的行為など絶対にしたくないと思っている。

 私は、自分が自分を失うのが怖い。絶対に怖い。自分の命を失うより、誰かを傷つけることの方が私は傷つく。だって取り返しがつかない。私が死んでも私の意識に停止ボタンが押されるだけだ。来世があろうとなかろうと、なんなら地獄に行ったって別にかまわないと思う。そんなことは今の私の知ったことではない。今の世で誰かを傷つけること、それをする可能性を自分が秘めているということ、それをコントロールし続けなければならないということを、私は一生背負っていかなければならない。

 

 

誰かが不可解な事件を起こすたび、「加害者」の人生を、事件の熱が覚めたその先の加害者の人生とその感情を、私はいつも強く考える。誰もが呪い、侮辱し、こころやさしいだれだれを殺した人間など生きる価値がなく、死ねばいい人間だと大衆から罵ることを許された、悪魔のような極悪人で、避けられるべきで生きるに値しない人間と言われて生きなければならない人間の、苦しみは、そこに砂粒ほども、ないか。

 

「被害者」は常に、人間である。

 

「加害者」は常に、人間である。

 

手先の指の震えとともに、私は生きていかなければならない。

 

 

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アドリブで 生きてるんだから

傷つける 前に台本 渡してほしい (Satomi Tashiro)

”欲望されて・擬態して「私」”(仮)

現在、令和元年八月二日午後九時二十七分。夜闇に染まる窓辺の前のデスクにまったく久しぶりにPCを置き、まったく久しぶりに上体を起こしてチェアに座ってキーを叩くために、つい五分前にコンタクトレンズを入れた。夜も更けかかったところで自分の0.01も度数のない瞳に矯正をかけるのはまるで馬鹿馬鹿しいような気もするが、今の私にとって「まとまった文章を書く」ということのために身体を起こして実際の作業に移るだけで、心身ともにかなり負荷がかかる。そういう生活を、やっている。

 

今回どうしてもキーを叩かなければと思ったのは、あくまで自分のためである。私の文章は、いつだって自分が満足するために書かれなければならない、と最近とみに思うようになった。共感や影響を意識した文章を書くと(誰かからのそんなものはほとんどなかったとしても)、自分が読み返したときにまるでつまらなく、消したいと思ってしまう。「どう見られたいか」や「宛先」の明確な文章は、それに適応した然るべきやり方を考えて、相手に差し出せばよい。文章を残す元気があるというのは、私にとって命の証である。そのくらい、切迫している。じりじりと、生きている。何もなかったことに、されたくはない。

 

* 

 

ここまで書いて、これより先にもう3,000字以上書いて、一旦寝かせて、3,000字程の文章は全部消してしまった。それから、私はいったいどれほど疲れているんだろう、と思ってしまった。最近はずっと、神経症的にというか、精神分裂症的にというか、病態が悪く、特に「観念奔走」が大変にひどく、自我の統御と抽象的思考の散逸に人生の時間ほぼすべてが振り回されている。今日は朝八時に起きて、飲まず食わずで、ずっと布団に横たわりながら、夜の六時までぶっ続けで考え事をしていた。さすがに異常というしかないし、心身ともおかしくなるレベルで疲れて当然だ。そういう生活が、一人で家で寝ているときはずっと続いており、一日の終わりに恋人や数少ない友人と本当にしょうもなく他愛ない話をすることで、ようやく日常が弛緩する。ようやく、だ(外に出られない理由はあり、家にいてもほとんど何もできないでいる。もうかなり、善処してはいます)。

ここ最近ずっと、他人のどんな表現も自分への揶揄か刃にしか受け取れなかった。大量に入ってくる情報を一次情報とすれば、二次情報三次情報としてそれらをメタ認知加工する癖がいつからか根深くなってしまったが(健康な人のそれを京都人いけずマインドともいう)、これがゾッとするほど、全く病的なもので、「私は病識を持っている」ということだけを何とかの支えにやってきたはずなのに、少しずつおかしくなっていることに気が付いていない、ということにはすっかり心が折れてしまった。本当に、ダメになってしまいそうだった。

どうしても「ちょっとわたし思考回路がやばいかもしれないんだけれどもさ」と友達に言いだすことができずにいて、全く抱え込んでいた(今日やっとできた、いつも限界まで抱え込むのが得意なのは周りに迷惑をかけるが、我慢する性格なのでもはやどうしようもない)。幸いにも、冷静に観察、というか心配してくれている人が僅かにいるおかげで、なんとか、助かっている。ある友人は純粋で素直でロジカルで良心的なおかげで、全く否定せず、ありのままに、私の曲がったところも含めて受け止めてくれるため、その人と話し始めたときの私の思考回路・言葉選び・話のリズムは何かがおかしいぞ、ということが事後的にわかり、安心して、脳がリラックスした状態で話すことができているな、と感じられるまで話ができる。心から感謝している。

 

 

こうやって自分の思考を、あらゆる形で、断片的にではなくまとまった量書く作業というのは、自分が自分の書く文章とどの程度の距離を持って接しているのか、「寝かせる」という作業の効果によって確認することができるし(とはいえ私は断片的な考えの吐露も好きではあるが)、何より、観念奔走によって次から次に着想される様々なアイディアも、とりあえず何も考えずキーボードに打ち付けることで、PCの画面が、私の頭の中を無茶苦茶に飛んでいく思考の群れを、文字情報として一旦ピン止めして可視化してくれるので、病識の管理というか、単純に「わたしのあたまがらくになる」ためには、よいツールだと思う。それらに追いつけず、全く物理的に頭が熱を持ちオーバーヒートしてしまうのは、とても身体的につらいものなのだ。ほんとうにかなりつらい。

 

 

題名の『欲望されて・擬態して「私」』というタイトルは、この文章を書きはじめる前に自分の中のテーマのひとつ(自分の中のテーマが手に負えないほどあり、ひとつひとつ吟味して願わくば物語に全部を昇華させてやるのが夢なんだけど、かなり難儀している)としてずっとあったことである。「何」から欲望されるのか、あるいは対・ヒトからであり、社会や組織からであり、コミュニティやシステムから等、様々の場合をパターンとして考えられると思っている。

欲望とはなにか、欲望する/欲望されるとはどういうことか、欲望された人間はどうなるのか(擬態に繋がると今はなんとなくぼやぼや考えているけども)、擬態をし続ける人間とは一体どんな様子で、擬態にはどんな意味があるか(今のところ、擬態、というか「何らかのものに似せる・なりきる・演技をする」ということは、決して否定的に捉えることではなく、むしろ擬態が周囲に自然感染していくことによって、人間の社会性というものが担保されているのかな、という風に考えている)…とかまあいろいろと、書ききれない程考える(考えてしまう)ことは様々にある。

(さらに備忘録として書いておくけれど、前述した例えば「システム」が人間に欲望すること、とは、例えばインターネット上で、様々なSNSのそれぞれの機能?(ここはよくわかってない)によって、システム利用者は無意識に表現の方法を変えている・変えがちであることは言わずもがなだろうと体感的に考えるけれども、(TwitterInstagramFacebookを例に挙げれば、それぞれのシステムの機能によって同じ人間が振る舞い方を変えてしまうことは、システムが人間にある振る舞いを欲望しているとは考えられないだろうか?とかなんとかに続く話)、また、それらのシステムを利用した自己表現の形式にはシステムによる傾向や偏りなどがあるはずで、まあそういったことを、きちんと私が納得できる形で言語化して、熟考してみたい、とかそういう話です。雑やな。

 

 

さて、「そんなことはもう云年前に(システムの話とかは)メディア論で議論がなされていてじゃな」などという理解がある方にはたいへん申し訳がないのですが、残念ながら私は読書というのがまともにできる状態に長い間なく(最近ようやく原典がちょこっと読めたのでめちゃくちゃに嬉しかったが、すぐに何も読めなくなった)、「読書できない身体」の私が自己満足のために頭の整理をしたいだけなので、「それはもうこの本に書いてあるよ」と思っていても、なんていうか、読みたいけど読めなくてしんどいので、黙っていてくださると嬉しいです。

また、こういう概念の深堀りみたいなことは、本来ならばちゃんとある程度頭の中に思想史を含めたなんちゃら史の様々をぶっこんだ上でちゃんと考えたいのですが、先述の通り「ほとんど全く読めない」のと、哲学書を読むのは哲学科にいたときから本当に心底苦手で、今までまともに通読した思想書というのが、原典ではほぼなく、入門書や手引書のようなもので何となくこういうことか?と理解できた思想もほぼ、というか全くない。わからなさすぎる。

思想畑に片足をちょい入れでもしたことのある人は、私の言葉の使い方や全体構造の理解の雑さから、すぐ「この程度の理解ふむ」とわかると思う。私の頭の中が今現在病気によってとりあえず色々とやかましくて疲れているので、このようにやかましく書き付けているだけということを、理解していただければうれしい。病気の人ががんばって生きている記録という理解でいてほしい。

ただこれだけは言いたいのが、思想と関係ないところにいた違う畑の友人は、私がまた何か小難しいことを言おうとしているようで、よく本を読んでいる人間と勘違いをしているようで、それは全く違うのだということを言いたい。ただ私の話が理屈っぽく、語彙と歴史のエッセンスを十分に持たないので、右往左往しているだけです。

 

ここまで書いて、途中電話やネットサーフなどもしていましたが、一旦この勢いでもって公開とします。句読点のリズム、文体から自分の体調を翌日把握して病識につなげるという訓練?をTwitterで続けていたし、この文章はなんというか仮止めみたいなもので、下書きにするとまた後で手を入れたくなるので、公開にします。

あとこの文章は、できる限り知り合い(顔の見える人で私に興味のある人)に読んでほしい。私が考えていることの程度がわかるということは、私が犬だとするならば、ひっくり返っておなか出して何でもしてくれの弱み完全公開状態であるので、扱いやすいと思う。?

おやすみね~。(翌八月三日、午前三時過ぎ)

 

 

 

ポスト・ハローワールド

どうも、毛玉です。はてなダイアリーでは「毛玉」という名前で活動していた記憶がないですが、ブログでこの名前では、お久しぶりです。

このたび、「はてなグループ」サービス終了のお知らせをTwitterのタイムラインで知り、ああ、インカレナンチャラはてな会のページも終了なのかと思うと、私の浪人生~大学生時代のインターネット上の人間関係の全青春のデータが失われてしまうようで、焦ってCside(id:Cside)に連絡しました。どうやらはてなダイアリーからはてなブログへの移管作業のようにスムーズに他サービスに移行することはできないようで、データのエクスポートはできても移行先がないので、本当にサービス終了、終了らしいです。

突然この話を読んだ何も知らない人は、何の話をしているんだと思われるかもしれません。「はてな」というサービスから始まったインターネットにおける私の個人的な歴史を振り返るのは、私が単なる懐古厨であるということを明らかにしてしまうだけかもしれませんが、サービスの完全な終了と聞いて、また「はてな」に昔のアイディー(superfluou_s)でアカウントを取得して、この文章を書いてしまうくらいの熱量をひとりで消化できないので、ここにひとつの記録・記憶として残しておきたいと思います。

本当にとりとめのない、だらだらとした駄文になることは書く前から予想できますが、当時のことを懐かしく読んでいただける方はお付き合いいただければ幸いです。できるだけ、詳細に、当時の記憶を書くつもりです。

 

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